平成時代の現在、子どもにみられる発達的な課題は何か。このテーマは社会と人間の生きた関係づくりに関わる問題です。嫌われる勇気で有名になった心理学者アドラーは、自分が家庭や職場のような共同体の仲間だと感じる心理を重視し、それを「共同体感覚」とよんでいます。端的に言えば人に共感し信頼する心のことですが、その共同体感覚が欠ける子どもは他者に関心はなく、結果として自己中心的にならざるをえないというのです。
このような自己中心的な子どもが増えてきている現実は、私自身が大学で20年間教えてきた経験からも実感しています。20年前の学生らは授業の中で叱られても、それを逆ギレするような者はいませんでした。ゼミに入ってから途中で”辞める”という者もほとんどいなかったのです。ところが、ここ2015年ごろから、注意したことに逆切れするような行動がみられるようになりました。
その学生に後で冷静になったときにどうしてかと聞くと、親から「叱られた経験がない」というのです。このような傾向は全国的な傾向でもあり、家族間でも「ほめて育てよ」といった一面的な教育観が背景があるようです。そのため他者から叱られる事に過剰なストレスを受けるのです。それは言い換えると、自らの経験を内省する経験がないという問題だと考えられるわけです。アドラーの「共同体感覚」が失われてきている裏返しともいえます。
そして、このような自己中心的な子どもが増える原因ともなっているのは、対話をする経験の欠如ではないでしょうか。ここでいう“対話”とは、自分の考えを人にわかる形で表現し、互いの違いを理解し合う日常経験のことです。日本の働き改革でも知られるように、夫が不在で妻だけに子育てを任せるようなケースでは、妻はどうしても子どもに過剰な世話や期待がしがちとなります。その結果、子どもへの期待が高くなり、自分も嫌われたくないことから「したいこと」をそのままさせてしまう傾向が高くなります。
そんな子どもにとって、他者から何かの理由で叱られたりすることは耐え難いはずです。たとえば、公園を利用する場合、自分達がサッカーをやりたいとグループで始めたとします。狭い公園内では当然そこに騒音に悩む住民も出てきます。その際に、通常は住民がクレームや”叱る”ことにもなるわけですが、子どもは反発感や違和感しかありません。これまで親からほとんど叱られたことがない、あるいは他者に関心がなく遊び以外には何の関心も持たないためです。
まず、ここで発達心理学が明らかにした見方を確認しておきます。それは子どもが大人との「発達の最近接領域」があってこそ、優れた発達が達成できるようになるということです。これは「心理学のモーツアルト」ともいわれた発達心理学者のヴィゴツキーの指摘する考えです。それがどれほど重要なことかをいくつかの次の回で解説しましょう。