外遊びには多様な形があり、公園での球技や道路横でするメンコ、そしてスポーツの場として野球場やテニス・コートなどがあります。たとえば、昭和30年代の子ども達はメンコをよくしていました。とくに、当時の人気アニメのカードを集めたりして、自分や強い相手が持つカードには何か特別な力が宿るようなおまじないのようにして、カードを勝ち取る喜びを感じたものでした。そのカードの表紙には当時の人気キャラクターが描かれ、使うほど味の出るジーンズのような愛着を持つ特別な遊び道具だったのです。
子どもの遊びの多くはこうした道具利用が不可欠なものとしてあります。単純な遊びにも必ずそこに文化としての道具があるのです。砂遊びや水遊びも何も道具は使わないように見えるかもしれませんが、砂場やプールのように囲いをした”仕組み”があり、川や海での遊びのような場合でも、安全性を考慮した浮き輪や水中メガネなど使用しています。
こうした遊びでは文化的な影響が強く出ていますが、それだけでなく自分らしさも加える工夫を子ども自身でしていました。このような「遊びの自分化」(selfishness of play)にはどんな効果があるのでしょうか。
その第一が「子どもの文化」創りへのステップになるということです。メンコのような遊びの例でいえば、カードの表紙部分に当時流行しているアニメやキャラクターを使われています。そのお気に入りのものを手に入れようと、遊びの中で勝ち負けを競うことになります。そして、子どもは自分のカードの端を折り曲げたり、裏返しがしにくい形状になるように工夫したりします。それによって、カードは当人独自の仕様になり、ちょうどカスタマイズされた改良バイクのようにかけがえないモノとなってきます。
このような遊び道具へのこだわりや工夫の過程は、子どもが日常の多様な学びを実践する機会や場にもなってきます。メンコのカードの形状を自己流に変えてみることに気づき、カードを火であぶったり、その角をやすりで削ったりといった試す行為「先取り試行」をしてみるのです。様々な加工の仕方を試すことで、メンコ遊びに強いカードの形状が仕上がり、それを友人に教えてあげたりもするのです。
そうすることで、互いの友情を深めるだけでなく、文化の共有、具体的には知識としての技能の共有ができるようになってきます。これらの道具へのこだわりは同時に自分の”アイデンティティ”(自分らしさの核)とも重なるため、道具のでき具体はちょうどプロの職人のように普段から気にかけて改良を重ねていきます。文化としての道具から自分の道具への「遊びの自分化」がそこに反映されているのです。
つまり、メンコ遊びを通じて子どもが得るものは、ただ”楽しい”やその場で”したいこと”など一時的な快や場当たり的な欲求だけを満たそうとしているのではないことがわかります。もちろん、他の多様な遊びにおいては、そうした瞬間的で一時的な遊びの場面も多くあります。しかし、ここで確認しておきたいことは、遊びが文化としてどう子どもに影響し、また逆に子どもが文化の創造に関わるようになってくるかということです。
メンコ遊びはその典型的なものです。従来からも遊びの研究が明らかにしてきたことは、遊びの中で子どもは個人の身心の発達、たとえば子どもが自分への自信(自己効力感)を高めたり、チェレンジする意欲を持つことを実証してきました。ですが、ここでは個を越えた文化的な視点でみることの重要性を指摘しておきます。
これまでも文化的な側面から遊びを論じていた古典的な遊び理論を説いたホイジンガ―やカイヨワの諸説は、遊びの多様な形態を区分し、それらの特徴の背景を社会文化的な関連から説いています。その成果も踏まえたうえで、今後、遊びを「活動理論」(Y・エンゲストローム)の”活動”(activity)の単位で捉えていくことが重要になってきます。つまり、具体的な遊びの場で、子どもの行動とそれを媒介する”道具”との相互作用をテーマにした「拡張された遊び(Expanded Playing)」を検討していくことが求められるといえるでしょう。