日常の遊びを考えるときに次のような発達の科学を知っておくことが重要です。
1:生理モデル⇒遊ぶこと自体が遺伝的な本能の現れとして遊ぶ行動が生まれる
2:動機モデル⇒情動による”したい”という欲求が動機となり遊ぶ行動が生まれる
3:生態モデル⇒遊ぶ行動を誘発する生態的な場の作用により遊ぶ行動が生まれる
1番は遺伝的な本能による生理的なもので、最初から遊びの要因が生体に組み込まれているとみなします。2番は遊びの動機を情動(感情)という心理的な原因だとするもので、心理学者には支持されやすいものです。そして3番は自己と外界の生態的な相互作用を軸にしたものです。この3番目が2000年以降の発達心理学や認知科学による遊びの科学的な考え方であり、環境側の生態的な相互作用の影響を重視するものです。
一般的な幼児教育で主流とみなされているのが2番の「動機モデル」であり、プレーパークの関係者の多くもそれに近い考え方ですが、1番はほとんど今の専門家の間では支持されていません。
そこで問題になるのが、この2番の動機モデルが遊びの原理とした場合になります。それは動機の要因が何かをテーマにしていますが、個人の内側にある”情動”(感情)に還元してしまうことが問われてくるのです。
人の発達の全体をみるなら情動的なことはその一面であり、全体を説明するものではありません。この点は非常に心理学の原理となるところで重要なのです。情動についての限界をよく知るうえでも、まずは発達心理学で知られるピアジェを理解しておく必要があります。
ピアジェは「幼少期」(幼稚園までの時期)において、子どもは「自己中心な思考」だとして「発達段階説」で説きました。それが幼児の感情に左右される思考の段階だとみなすためです。そのため、幼児が「自制心」など働かせるのも難しいとするのです。このことは発達理論の常識として知られますが、このピアジェの発達論は80年代後半ごろから批判されます。
とりわけ、生物的な発達上の影響よりも”社会性”が問われるようになりますが、その批判の立役者がヴィゴツキーです。彼は今や「心理学のモーツァルト」とも言われ、その社会や文化の生態モデルの理論は、教育革新の先端を走るフィンランドの教育省が取り入れているものです。
この説の特徴は人の思考・情動といった内的な心理作用を、個人の内側だけではなく社会・文化の全体的な相互作用とみなすところです。その社会性の原理の中心が「発達の最近接領域」であり、大人と子どもの間で共有していく文化の参加過程に注目するものです。
詳しいことは私の恩師でもある佐伯胖(元認知科学学会長)の著作『幼児教育へのいざない』が参考になります。彼は「認知科学」の学術分野のリーダーとして知られ、2000年代からは幼児教育に力を入れています。「認知科学」というのは人の思考・記憶・感情など総合的な科学ですが、この観点から幼児教育だけでなく企業の人材育成にも革新をもたらしました。
そして、もう一人の恩師でもある柴田義松(東大名誉教授)はヴィゴツキーを日本に初めて紹介した研究者です。私は運よくこの二人から大学で指導を受けたことから、後に東大医学部の研究者らと日本初の認知科学のコンサル会社(株:認知科学研究所)を創設しました。その後、アップル社やNECなどのコンサルの機会を得て、多くの人材教育に従事してきた経緯があります。