公園遊び(3):焚火遊びの問題性

「公園での焚火」は遊びの手段であるものを目的にすり替えてしまう危険があります。その問題点は整理すると次の3点です。
 1:焚火が子どもの遊びの選択肢となるのは適切な環境条件においてである
 2:焚火を制度化することによって、本来の多様な子どもの遊び文化を阻害してしまう
 3:狭い公園で焚火遊びを”制度”にするのは子どもの自律を妨げる過剰サービス

環境条件、遊び文化、過剰サービスというコトバは相互に関連し合った問題です。焚火そのものは子どもの遊びの手段であるにもかかわらず、大人側がそれを狭い公園内で”制度”のようにしてしまう。これは子どもの遊びにとっては「主体性」を妨げるもの、つまり”自分達同士”で遊ぶという原則からすると「過剰サービス」です。そして、そうした過剰サービスは逆に子どもの自律と遊び文化を歪めてしまうということです。
佐伯胖や工藤勇一らの著書にも強調されているように、遊びは「子どもの文化」であり、大人が勝手に自分達の価値観で誘導させるようなことは控えるべきなのです。

世界を中心にしたプレーパーク運動はイギリスを本部にしており、私も3年前から直接その本部会員になっています。それがIPA協会(イギリス本部)ですが、とくに子ども同士が自分達で遊ぶ中で工夫できる余地が多いことを重視します。それを見守る態度と立場こそ、本来の公園内での遊びをサポートする側のすべき事とみなすからです。

それに対して一部のプレーパークでは、焚火のしやすい“セット”(炭火)にしたり、毎日できるように事前に準備をしておくなど大人側が中心となってしまい“制度化”をしています。これは現実には手取り足取りの大人側のおせっかいの「過剰サービス」になってしまっています。これは自律した子どもの遊びからすると、「遊びの多様性」を妨げる面があるのではないかと疑問になるところです。

とくに遊びの手段である焚火を”素材として不可欠”として「制度化」してしまう問題は根深く、またそれを実施するために狭い公園内であってもエントツまで立てようとまでします。
こうした焚火遊びを特別なものと信じているプレーワーカ側の主張を調べると、そこには主に3つの次のような見方があるといえます。
1:【生活必需説】火は水、土、空気のように人が生きる生活に欠かせないものだ
2:【感覚統合説】火の熱さの感覚刺激が他の感覚と統合され発達を豊かにする
3:【世代交流説】世代の違う大人と子どもが居場所として感じられる場になること

エントツは煙を上空に拡散するだけで、煙を無くすものではなく、近隣のマンションに煙害としての被害を与える可能性が高いことに変わりはありません。長期的にみたときには自然の中で遊びを育てる点で、メリットよりもデメリットのほうが大きいはずです。単にその特定の遊びをさせるためにエントツをよいかどうかでなく、自然の景観を含む環境保全や心身への影響など広い視野から考えなくてはならないものです。

ところが、そうした生活全体の視点が欠けており、ただ遊びを目的化した焚火論でしか語っていないようなプレーパークも一部にみられます。それを委託事業としている行政側も焚火とプレーパーク事業はセットだと考えてしまっているのです。

匠英一 について

日本ビジネス心理学会:副会長 / デジタルハリウッド大学(元)教授      専門は心理学(認知科学)を軸にした教育・人材育成や組織改革であり、心理・経営コンサル業に30年以上従事。1980年の学生時代から学びの楽しさをコンセプトにした塾経営もおこない、東進スクール研究所の顧問やデジタル教材の監修・企画(ニッケンアカデミー)し、90年代より日本初の認知科学専門のコンサル会社(株)認知科学研究所を創設。 アップル社や(財)中央職業能力開発協会等のコンサルに従事。現在までにCRM協議会(初代事務局長)、日本ビジネス心理学会など業界団体15件を企画・創設。 *詳細は→https://www.bookscan.co.jp/interviewarticle/401/1
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