遊び論(4):「ユートピア型」ではなく「ユニーク型」の公園へ

公園が子どもにとって理想の遊び場になることは一般的にはすばらしいことです。しかし、検討される必要があるのは「自由に遊ぶ」といった”理想郷”にする是非についてです。ここの公園にくれば「自由に遊ぶ」ができるのだから、子どもは何でも好きなように遊べるとみなすような支援の在り方についてです。

こうした発想は大人側の余計なお世話になってくる面がないといえるでしょうか?
現実に求められる遊びの実態からすると、このようなごく限られた公園を理想郷にする一方で、本来遊びとして利用できる公園その他公共のスペースが置き去りにされているように思えます。

たとえば、サッカーの騒音で悩んでいる公園が多いようですが、あるプレーパークでも同じようなことが続き、被害住民が周りの環境を活かせないか調べました。するとすぐ近くに高速道路下のサッカーができる運動場があったのですが、ほとんど使われていませんでした。徒歩で100mも行かないほどですが、ワーカは自分達の担当するエリアだけで遊ばせることに専念してしまい、それを利用するような案内・指導をずっと何年間もしていませんでした。つまり、その地域全体で遊びを創っていく見識を欠いていたのだといえます。

こうした認識の歪みは多くの教育家にもありがちなワナです。一度自分の経験で成功したりするとその狭い経験に固執してしまうからです。そして、環境や状況の違いを無視して、都合のよい面だけ強調して正当化しようとします。これは心理学では「確証バイアス」とよんでいる偏見の典型的な弊害です。このような自分達の公園内だけを子どものユートピアの場にしようとする「テリトリー意識」は、同じ公園で長年続けてきた場合はさらに強まってきます。しかし、これは遊びの場づくりを狭い理想郷にして歪めてしまうものです。必要なのは「ユートピア型」ではなく「ユニーク型」の公園だからです。一面的な子どもの理想郷を創るのではなく、各公園の個性と環境の”強み”を活かすという公園作りです。このような「ユニーク型」のプレーパークの在り方を提唱しているのは私だけではありません。他もない羽根木プレーパークの生みの親でもあった大村璋子・虔一夫妻です。大村璋子編著『遊びの力』(2009年発刊)では、遊びを支援する側の「ひとりよがり」を戒めて次のように述べています。

『遊び場には危ないだけでなく、汚いという苦情もあるのですが、世の中にはきれい好きな人もいるわけで、そういう工夫も必要かもしれません。景観的な配慮をすることで、地域との関わりができ、ふるさとづくりやまちづくりにつながる。自分達たちの楽しみだけでなく、周囲の人といっしょに遊び場を育てていくことになる。そういう発想になっていれば、日本での遊び場ももっと受け入れられるようになるのかもしれません。ひとりよがりでなく。』(同著p181)

また同著の中で夫の大村虔一は次のように警鐘を鳴らしています。
『今の状況を見ても、あそこに”プロの遊ばせ屋さん”がいるから、あそこに子どもを預けると子どもが賢くなるという思いで、子どもを遊びに行かせている保護者がいるのではないか。そういうスタイルで冒険遊び場が広がった部分があるのではないかと危惧している。子どもが本気になって、いきいきと遊ぶことが大事なのだという方向にいかないといけない。全国に、冒険遊び場の数を増やすことだけを考えていないか。気にしている。単なる遊びだけじゃなく、子どもの生活そのものを問題にしないといけない。そのときそのときを自ら楽しめる暮らし。それがないといきいきした子どもが育たない。』(同著p157)
こうした大村夫妻の主張からわかることは、遊び自体は子どもに不可欠なものですが、同時にそれは”生活の一部”であり全体ではないという見方ではないでしょうか。

匠英一 について

日本ビジネス心理学会:副会長 / デジタルハリウッド大学(元)教授      専門は心理学(認知科学)を軸にした教育・人材育成や組織改革であり、心理・経営コンサル業に30年以上従事。1980年の学生時代から学びの楽しさをコンセプトにした塾経営もおこない、東進スクール研究所の顧問やデジタル教材の監修・企画(ニッケンアカデミー)し、90年代より日本初の認知科学専門のコンサル会社(株)認知科学研究所を創設。 アップル社や(財)中央職業能力開発協会等のコンサルに従事。現在までにCRM協議会(初代事務局長)、日本ビジネス心理学会など業界団体15件を企画・創設。 *詳細は→https://www.bookscan.co.jp/interviewarticle/401/1
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